災とSeeing(11)昭和東南海地震(愛知県半田市)
所在地
殉難学徒之像・追憶之碑・平和祈念碑:愛知県半田市雁宿町3丁目204-1(雁宿(かりやど)公園)
「東南海地震被災の地」の碑:愛知県半田市東洋町2丁目1番地(半田市役所)
■ 殉難学徒之像・追憶之碑・平和祈念碑
昭和19年(1944年)12月7日 午後1時36分、紀伊半島沖を震源とするマグニチュード7.9の海溝型地震「昭和東南海地震」が発生しました。半田市は震度6程度で多くの被害が発生し、188人の方が亡くなったとされています。雁宿公園には、その地震で犠牲となった中島飛行機半田製作所山方工場などの動員学徒97名を追悼した「殉難学徒之像」や、昭和25年の七回忌に学徒の同級生が建立した「追憶之碑」、昭和東南海地震と昭和20年7月の半田空襲による犠牲者の氏名が刻まれた「半田・戦災犠牲者追悼平和祈念碑」があります。

殉難学徒之像
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追憶之碑
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半田・戦災犠牲者追悼平和祈念碑
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■ 「東南海地震被災の地」の碑
平成26年に新庁舎が完成した半田市役所。この場所は、かつて昭和東南海地震で多数の犠牲者を出した中島飛行機半田製作所山方工場があった場所で、市役所西側の敷地内には「東南海地震被災の地」の碑があり、その隣には伊勢湾台風の浸水位を示す標識も設置されています。足元の歩道に目を向けると半田市の歴史を紹介したタイルが埋め込まれています。
また、新庁舎には最新の免震装置が設置され、巨大地震に備えています。

「東南海地震被災の地」の碑
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伊勢湾台風浸水位
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■ 周辺のトピックス(半田運河と醸造蔵の風景)
半田では古くから酢や酒などの醸造業が盛んで、半田運河と醸造蔵の景色は江戸・明治の面影を今に伝えています。
■ 周辺のトピックス(半田赤レンガ建物)
明治31年(1898年)にカブトビールの製造工場として誕生しました。一部取り壊された部分があるものの、当時のまま現存するレンガ造りの建物としては国内最大級の規模で、国の登録有形文化財にも登録されています。北側の壁には太平洋戦争の爪痕も残されているそうです。