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災とSeeing

名古屋大学 減災連携研究センター、(株)CBCテレビ、(株)中日新聞社、(一社)中部地域づくり協会 地域づくり技術研究所
災とSeeing(18)伊勢湾台風と河川被害(岐阜県養老町)

所在地

決壊口之碑:岐阜県養老郡養老町根古地1527付近
池辺小学校:岐阜県養老郡養老町大巻1140

■ 決壊口之碑
1959年8月12日、活発な前線と台風の接近に伴って、西濃地方では400mmから700mmに達する記録的な雨を観測しました。牧田川は、養老町根古地(ねこじ)付近で約120mにわたって決壊、多芸輪中(たぎわじゅう)では、2900haが泥の海と化し、29日間にわたって湛水、長期間におよぶ輪中地帯特有の水害となりました。豪雨からおよそ1か月後、堤防の復旧が完了し、輪中内の排水も概ね完了しましたが、同年9月26日、「伊勢湾台風」が町を襲い、再度同一個所が決壊しました。短期間に2度も襲った大水害で、多芸輪中は再び34日間にわたり泥水に浸かることになりました。
※伊勢湾台風:和歌山県潮岬付近に上陸、紀伊半島を縦断した伊勢湾台風は、東海地方を中心に“明治以来最大”といわれる深刻な被害を各地にもたらしました。これを契機として「災害対策基本法」が制定されるなど、日本の防災史にも大きな影響を与えた台風となっています。伊勢湾台風を語る上で、欠かすことができないのが「高潮の被害」です。強風による吹き寄せと低気圧による吸い上げ効果によって起こった高潮は、名古屋港において、観測史上最高となるN.P.5.31m(名古屋港基準面)の潮位を記録。伊勢湾沿岸の防波堤や海岸堤防に、猛烈な高潮が襲いかかりました。全国で死者・行方不明者は、5,000人以上になり、1995年の阪神・淡路大震災まで戦後の自然災害では、最大の被害となりました。
牧田川堤防(決壊口之碑付近)

決壊口之碑 看板

■ 池辺小学校
被災した養老町大巻の池辺小学校内には、当時の浸水した水位を示すモニュメントが立てられており、上の輪が8月の集中豪雨、下の輪が伊勢湾台風の浸水位を示しています。町内には至るところに当時の水位を示す標識があり、被害の様子を今に伝えています。

池辺小学校 体育館

水位標柱

水位標柱 看板

池辺小学校(現在)

校内に掲示された昭和34年8月豪雨当時の旧池辺小学校の写真

■ 周辺のトピックス(史跡 大巻薩摩工事役館跡:岐阜県養老郡養老町大巻)
薩摩藩は、安八郡大牧新田豪農鬼頭兵内の屋敷を借りて、宝暦治水工事の同藩の主要な役館としました。これを元小屋と称し、その出張所を出小屋と称しました。この役館には、総奉行平田靱負正輔及び副奉行伊集院十蔵久東他20数名がいました。工事終了直後に平田靱負が割腹自殺をしたのもこの場所です。
役館であった鬼頭兵内屋敷は、広大な敷地を有し低湿地のなかでも一段高い場所にありました。
その後、同家が没落して、当時の面影はなくなりましたが、かつての勝手場あたりと推測されているところに、昭和3年(1928)5月6日、薩摩義士顕彰会により「平田靱負翁終焉地」の記念碑が建立されました。
(岐阜県ホームページより引用)

平田靱負翁像

宔暦薩摩治水工事顕彰供養堂

史蹟大巻薩摩工事役館跡 看板①

史蹟大巻薩摩工事役館跡 看板②


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